開南丸 |
宗谷 |
白瀬日本南極探検隊が、南極探検に使用した船です。「開南丸」は東郷平八郎元帥によって命名されました。1910年(明治43年)11月に日本を出帆し、2度の南極航海に使われました。 |
「宗谷」が初めて南極に向けて東京港晴海埠頭を旅立ったは、1956年(昭和31年)11月8日でした。 1962年(昭和37年)4月まで、6次にわたる南極観測に活躍しました。現在は、船の科学館前に係留され永久保存展示されています。 |
海鷹丸 |
ふじ 5001 |
東京水産大学(現在は、東京海洋大学)の練習船「海鷹丸(U世)」は「宗谷」に随伴し、第一次日本南極観測隊を支援しています。東京からケープタウンまでは、航海実習や海洋調査を行い、その後、宗谷と合流して南極に向いました。 東京海洋大学 練習船「海鷹丸」のページ |
「ふじ」は、南極観測船としては初めて建造され、1mの氷を3ノットで連続砕氷が可能でした。1965年(昭和40年)から18年間、第7次〜第24次まで活躍した砕氷艦です。現在は、『名古屋海洋博物館』の一部として名古屋港ガーデンふ頭に係留され永久保存されています。 |
しらせ(初代)5002 |
しらせ 5003 |
南極観測の拡大により、「ふじ」の輸送能力の限界となり、「しらせ」が建造されました。 1.5mの氷を3ノットで連続砕氷が可能でした。1982年(昭和58年)から25年間、第25次〜第50次まで南極観測を支えました。 (株)ウェザーニューズが「SHIRASE」と改名して気候変動・地球環境のシンボルと して一般公開しています。 |
コンテナ方式の荷役システム、船体塗装による海洋汚染を防ぐステンレス外装、新しいヒーリング(横揺れ防止)機構、散水システムなどを持つハイテク船で、観測隊員搬送数が60名から80名に増えました。 2008年4月16日、ユニバーサル造船(舞鶴、社名は当時のもの)において、進水式があり、防衛大臣から「しらせ」と命名されました。 |
開南丸 | 宗谷 | ふじ | しらせ | 新しらせ | |
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長さ | 33.48m | 83.6m | 100m | 134m | 138m |
幅 | 7.85m | 12.8m | 22m | 28m | 28m |
深さ | 3.89m | 9.3m | 11.8m | 14.5m | 15.9m |
軸出力 | 18馬力 | 2,400馬力 | 12,000馬力 | 30,000馬力 | 30,000馬力 |
基準排水トン | 2,736トン | 5,250トン | 11,600トン | 12,650トン | |
総トン数 | 204トン |