このページには、「南極倶楽部」の紹介と情報を掲載します。


(2002年1月撮影)

Q:南極倶楽部って何?

南極倶楽部は、南極観測隊OB・宗谷・ふじ・しらせの各関係者、北極関係、極地旅行者など幅広い方々が会員となっている、南極を愛する人たちの集まりです。
平成11年2月17日に発足しました。発足の経緯はこちらをごらんください。

Q:定例会があるそうですが・・

はい、南極倶楽部の定例会は、毎月第3週の土曜日に開催します(平成23年4月から)。
杯を交わしながら、南極の最新情報、大先輩の貴重な経験談、思い出話など、毎回、その日に参加できる人達が集まって懇親を深めています。定例会の幹事(当日の受付・会計)は部門毎に輪番で行っています。

Q:定例会に参加するには?

定例会に参加するには、当日会場で参加者名簿に記帳し、参加費をお支払い頂ければOKです。
未入会の方は、その際に会員登録をお願いします。

Q:どんなことしてるの?

毎月の定例会のほか、有志で旅行会やミッドウィンター祭などを企画することもあります。
南極倶楽部会報『南極』が年4回程度発行されています。
南極倶楽部の会報 ”南極”を見る場合は、こちら→

Q:会員になるにはどうしたらいいの?

南極観測隊OB、「宗谷」「ふじ」「しらせ」と関係が深い、南極に関係がある方、さらに会員の推薦などによっても入会できます。定例会に出席し、住所や連絡先を登録してください。必要な方は会員バッチも購入できます(ただし在庫のあるうちのみ)。

Q:どれくらいの会員がいるの?

正確な数字は、『南極倶楽部』の幹事に聞かないと分かりません。私(webmaster)は、平成13年8月の入会で会員番号は229です。現在は300名以上になってることでしょう。もちろん、会員番号001番は、村山さんです。

Q:南極倶楽部の発起人は?

会報「南極」の創刊号(平成11年10月20日発行)によると、南極倶楽部の発起人は以下のとおりです。
代表:村山雅美(隊長)
田英夫(報道)、吉田宏(北極クラブ)、岡野澄(本部)、鳥居鉄也(地球化学)、三田安則(宗谷)、楠宏(海氷)、川口貞男(気象)、村越望(1次)、星合孝男(生物)、五月女次男(北極)、松浦光利(ふじ)、前田卯一郎(ふじ)、久松武宏(しらせ)、吉田栄夫(地理)、木崎甲子郎(地質)、小野延雄(海洋)、平山哲西(建築)、五味貞介(東海南極クラブ)、小林昭男(医療)、小口高(超高層)、大瀬正美(電波研)、西部暢一(通信)、清水農夫、池田宏(写真家)、佐野雅史(設営)、渡辺興亜(雪氷)   [順不同、敬称略]

南極倶楽部の会報 ”南極”を見る場合は、こちら→


南極倶楽部発足の経緯


渡辺興亜
 11次と29次越冬隊に参加された坂本好吉さんが神田小川町に酒亭「おんぐるや」を開かれ、観測隊OBの溜まり場になっていたが、惜しくも夭折され、閉店の止むなくに至った。幸いにも越冬隊に3回参加された渡辺久好さんが引き継がれこととなった。それを機会に村山雅美隊長の9次隊の月例会も「おんぐるや」を会場にされた。私もその会に時折参加させて頂いていたが、平成10年の秋頃、村山さんからもっと幅広い定例会を開いたらどうかというお話があり、早速何人かと語らって準備を始めた次第である。
亡<なった坂本さんも生前「おんぐるや」がそんな場になることを望んでいたということも縁の一つと思われた。南極のみならず広く極地に関係された方々に発起人をお願いし、本年1月に趣意書を発送するに至った次第である。
会の名称を「南極倶楽部」とすることには村山さんのつよい御希望が反映している。
 本年2月17日に第1回目の会合を開催するに至ったが、50数名の南極観測隊OB,「宗谷」、「ふじ」、「しらせ」関係、北極関係、極地旅行者などと幅広い方々が参集された。本会は当面、会則など定めず融通無碍に運営することとしたが、本会の会長を村山雅美さんにお願いすること、幹事は各分野からの2名で2回づつ担当して頂<こと、会員名簿に記載された方を会員(記載順に会員番号が決まる)とすることといった基本ルールのみは最初の会合で了解いただいた。当分会費は集めず、定例会の会費の5%を事務的経費として運営することとした。会報発行の提案もあり、本年秋頃の発行を目処に準備を進める事となった。
 これまで定例会は順調に開催され、毎回20−25名の参加をいただいている。幹事は「南極観測現役」、「しらせ」、「宗谷」と続き、今後は「設営」、「同行記者」の順にお願いすることになっている。南極倶楽部発会案内の発送先は経費その他の制約でかなり限定的になってしまったので、担当幹事が関連の方々に案内し、会員の幅を広げて頂<のも幹事交代制の趣旨の−つである。
 6月にはミッドウインターの集まりを極地研河口湖研修施設で開催し、15名の参加があり、村山会長の興味深い講話をうかがった。
 南極倶楽部の運営は今のところ暗中模索といった状況で、是非多<の方に幹事(2回担当)を引き受けて頂き、自由な発想で楽しい会にしていただきたいというのがこれまでの幹事の願いです。
        ( 幹事周旋担当 渡辺興亜 )

 ※ ご注意 ※
 「南極倶楽部発足の経緯」は、南極倶楽部会報『南極』創刊号(平成11年10月20日号)より引用です。このため、本文中の”本年”は、平成11年のことです。また、「おんぐるや」の閉店に伴い、定例会会場は、レストラン「桃山」に変更となりましたが、平成23年3月からは「菜の屋」になりました。

『温故知新』


村山雅美
 1953年、幸運にも僕はヒマラヤ黄金時代の舞台で端役をつとめる機会に恵まれた。その頃の山登りは大したものでインドのラジオ局はマナスルの日本隊・工ベレストの英国隊向けに毎日気象通報を流してくれていた。モンスーンがアンダマン海域に達したと聞き、登頂のチャンス到来とひたすら荷上げに喘いでいた頃のことだ。ふとペリーの黒船来航から丁度百年目の今年、よくも8000米峰を狙う身柄になったものだと独り驚いたものだ。
 僕の興味をひ<「過去帳」をひもどいて見ると日本人の地的外向志向(Geo-extrovertとでもいうか?)には50年周期があるようだ。ロシヤの南侵に反応した伊能忠敬の蝦夷地測量は1800年、黒船来襲の50年程前までを第一期(1808年間営林蔵の樺太探検)。黒船に始まる50年、1904年の日露戦争までを第二期(1899年河口彗海、1902年大谷探検隊)。おそまきながら帝国主義へのおつきあいに深入りしたあげくに身上を潰した素寒貧がお隣りの火事場泥棒で貯めこんだ1952年、日本国という半端な独立国になるまでを第三期(1910年白瀬隊)。悲願の国際復帰がかないヒマラヤ登山と南極観測がはじまり、今では一端の大店を構えて2000年をむかえる第四期である。回を重ねて40次隊になった南極観測はマッカーサー憲法同様にかたくなに旧態依然の体制は載けない。複数の船舶による輸送・観測、飛行機によるアクセスの増強により越冬五ヶ月、夏隊七ケ月体制等の実現を第五期(現行の第VI期五か年計画)に期待したい。
 観測隊・宗谷・ふじ・しらせのOB、NGOの有志が結集しての南極倶楽部の発足は、新しい50年を視野にまさに時宣を得たものである。昭和基地創世期の原人が尚「歯亡びて舌存す」(説苑)る今、故事・伝統の中から新しい価値・意義を引き出して欲しい。一方、当代の碩学たらんとするものが踵を接している。
極地の最新知見を随時ご披露願いたい。南極倶楽部の楽しい酒席がこうして『温故知新』の場にもなるよう会員諸氏のご協力を切望して創刊の挨拶とする。               (1次夏)

 南極倶楽部会報『南極』創刊号(平成11年10月20日号)からの引用です。


  南極倶楽部の会報 ”南極”を見る場合は、こちら→


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