第5回「南極の歴史」講話会 アイスレーダーの歴史 (2010年6月19日)<アイスレーダー観測の歴史 −南極氷床2次元から4次元自然へ> |
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★アイスレーダー観測事始め
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★アイスレーダーの発展
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案内資料: 当日の写真: 今回の講話会はアイスレーダーに焦点を当てた。講師は芳野赳夫電気通信大学名誉教授 (3次冬、17次冬隊長)と西尾文彦千葉大学名誉教授(17,23,27冬、43夏隊長)である。かつて氷の中は電波の減衰が大きく電波を通さないのではないかと考えられていた。そのため氷厚測定や氷床下の地形測定などには地震波が用いられていた。しかし、周波数によっては氷を通しまたその減衰率なども徐々に分かってきた。このことによって、電波を使ったレーダーとしての利用が可能になり、広域の氷床地形や氷床構造などの測定が可能になった。 今回の講話会では芳野赳夫名誉教授は主にアイスレーダーの黎明期に付いて、西尾文彦名誉教授は発展期に付いて講演した。 ★アイスレーダー観測事始め 芳野赳夫(3次、17次越冬) 1959年、第3次隊の時、初めて内陸に立ったとき、見渡す限り一面に真っ白な雪氷面を見て、何となく電離層から雪面に降下してくる電波が厚い雪の中に染み込んでいくような感じを憶えた。雪上に置いたアンテナがうまく動作した事もあって、それまで世界で誰も計った事を聞いていなかった雪氷の電気的性質を計ってみる衝動に駆られた。この研究は、第3次隊の研究項目には無かった事だが、電波物理学担当としてはこの機会を逃す事はできなかった。 冬の期間に雪氷の電気的特性を計る項目を検討し、比誘電率と損失角を雪面から数メートルの深さまでハンドオーガでサンプルを取り出し、それ以上の深さは氷河の末端、氷山を利用して、可能な限り電気的測定の垂直分布を計測する事にした。 測定の方法は、現地で思いついた研究のため何の機材も無いので、ハンドオーガの直径と同じ直径10cm の一次隊の捨てた茶筒を見つけて3cm の筒を作り、これに現地で雪を詰めて、測定期間だけ調理の吉田隊員から借りたバネ秤で重さを計り、雪の比重を測定する。次にこれを厚さ1cm に切り、両側に直径10cm のアルミ板の電極で挟み、これに送信機の予備部品のバリコン等を使って作った100kHz の発信機を並列に接続して、雪を挟んだ時と、挟まないときのバリコンの角度の差を求めた。また1次隊の持ち込んでそのまま通信倉庫に眠っていたQ メーターを発見したので,バリコンの容量変化から誘電率と損失角を割り出す事が出来た。 冬の間、この真に哀れなガラクタ測定器を一通り作り、長い冬の期間が終わり大陸に出かけた時に雪氷上でこれを試してみると、意外に正確なデータらしき値が得られた。基地に戻り早速Q メーターで測定結果の確認を取ると、信用できる値が得られていた。 測定の結果は、当初の予想通り表面雪の比誘電率は−35ºC で1.05∼1.1で、測定値のばらつきは殆ど無かった。従ってこの値から計算すると短波帯の雪氷面での反射係数は入射角15度として0.1となり、入射波エネルギーの90パーセントは氷冠内に染み込んでいく事が判った。 氷中の比誘電率の垂直分布の測定は、氷山などで得た数値から、深さを増すにつれ、ほぼ指数関数的に増加し、深さ200m 以上になると約3.5から3.8で飽和しそれより深さを増しても、高圧気泡の影響でこの値のまま氷底までこの程度の値を保つ様である。これは純水の比誘電率91に比較して非常に異なった結果となった。このことから雪面から侵入した電波は、その速度が自由空間の約1/2に低下したまま雪氷中をあまり減衰することなく伝播し得る事が分かり、通常は表面での反射は極めて少なく、エネルギーの大部分は雪氷内を伝播し、雪氷の厚さが2000m の時、誘電体損失、導電損失および泡による散乱損失を考慮すると、短波帯では135dB 以上の減衰を受けて殆ど消滅してしまう事がわかった。また散乱特性は周波数の4乗に比例して増加する事も帰国後の解析で明らかになった。 この研究結果は、帰国後の学術会議の報告では,隊の公式観測ではなく、金も一切掛かっていなかったので殆ど無視された形であったが、直後に茅誠司、永田武両先生から、興味ある着眼点と以後の発展について励ましの言葉を戴いた。しかし、帰国後早速電気通信学会の研究会で発表したが、そのガリ版刷りのブレティンが当時の米軍の眼に留まり、知らないうちに陸軍通信研究所とペンタゴンの図書室に登録されていた。 1965年突然米国無線学会(IRE) [現在の米国電気電子学会(IEEE)]アンテナ伝播研究会の国際シンポジウムに旅費付きで招待論文の発表を依頼され、1965年8月にワシントンDC で30分にわたる講演を行った。また、この現象をまとめて同学会のアンテナ伝播論文誌に掲載した論文は、1967年度の最優秀論文賞を受賞する事ができた。これが元になって、私の今日に至る国際活動の起爆剤となったのである。(注1) 1961年の秋、突然米国陸軍通信研究所のWaite 氏から、私の論文内容を応用する事によって、初めて1959年南極で起こったダグラスC‐124グローブマスター輸送機がホワイトアウトの中で雪面に突っ込んで大事故を起こした理由が解明できたので、今後の共同研究をしたいとの知らせを受けた。1962年のWaite のIRE に提出した論文によると、グローブマスター機はクライストチャーチからマクマードに向かっており、基地に近づいて高度を下げ、着陸に備えて高度計を電波高度計に切り替えて海上から氷上に入った。その時の電波高度計はSCR‐718型、周波数は430MHz 出力7W であった。飛行機が海面800m で水平に氷冠上空に入ると、電波高度計の電波は氷中に進入し反射して帰ってくる。電波の速度は氷の中では、大気中の速度の半分になり、その結果電波高度計の指示は800m より高くなる。氷の深さが増すほど電波高度計の指示は高くなり,パイロットは高度が高くなったと勘違いして高度を下げた結果、雪面に突っ込んだとしている。 1961∼2年には、英国ケンブリッジのスコット記念極地研究所のエバンス博士から、共同研究の申し入れがあり、私の論文を応用して、電波高度計を用いてグリーンランドと南極大陸の氷冠の氷厚を測定することについて意見を求めてきた。私は、氷冠の氷の電波散乱損失は周波数の4乗に比例して増すので400MHz 帯の電波高度計ではあまり深い所は観測出来ないので、もっと低い周波数に下げたほうが良いということを教示した。 その後村山さんから第9次隊(1968年)で極点旅行を計画していることを聞き、その計画の中に走行経路に沿う氷厚の観測に協力を依頼された。当時の氷厚観測は雪面上で火薬爆発による音波の反射時間測定法が使われていたが、観測毎にセンサーの設置などに手間と時間が掛かり、雪の密度が極めて低いので音波の減衰が激しく観測は殆ど不可能であった。 私は研究から氷冠の雪氷中は比較的電波が通りやすいことを利用して、レーダーを開発し連続観測する事を提唱した。アイスレーダーに用いるためには、周波数の低い方が透過損失が低く電力も下げられるので有利であるけれども、あまり下げると他の短波電波の混信が起こり、またアンテナが大型となってしまう。そこで私は30MHz が混信が無く、論文の解析結果から氷厚3500m まで観測できる送信出力を15W、アンテナの大きさも雪上車に取り付けられる程度であると考え、試作機を作り8次隊にテストを依頼した。しかし充分なテスト結果が得られなかったが、9次隊にその改良型を提供した。極点旅行隊では往路は先を急いで、帰路に観測を行ったが、残念ながら機器の半導体トラブルが発生して充分な成果は得られなかった。 このとき私が提唱した周波数30MHzはアイスレーダー周波数として、スコット研究所のエバンスが進めた英国とデンマークの研究を始め、米国など各国に引き継がれ、私の論文に基づいてレーダー波の氷冠内の反射を用いて解析を行っている。1980年以降になるとパルスレーダー方式からFM-CW レーダー方式に改良され、単に氷厚測定ばかりでなく、積雪構造の詳細解析など非常に重要な研究分野でアイスレーダーが活躍するようになってきている。本文では,極域に関連したいろいろな分野の研究発展の基となった、私の氷冠表面の電波反射と雪氷内の電波伝播特性の世界最初の研究論文の、特にアイスレーダーへの応用とその初期の開発の経過についてお話しする機会を戴き感謝申し上げる次第です。 (注1) T. Yoshino, “The Reflection Properties of Radio Waves on the Ice Cap”, IEEE Transactions on Antenna and Propagations, Vol. AP-15, No-4, pp.524-551, 1967. ★アイスレーダーの発展 西尾文彦(17次、23次越冬、43次夏) <以上、南極OB会報 第11号から引用> http://www.jare.org/jareOB_Hc/ob_magazine/ |