「宗谷」タグアーカイブ

南極観測船

開南丸

白瀬日本南極探検隊が、南極探検に使用した船です。「開南丸」は東郷平八郎元帥によって命名されました。1910年(明治43年)11月に日本を出帆し、2度の南極航海に使われました。

宗谷

海鷹丸

東京水産大学(現在は、東京海洋大学)の練習船「海鷹丸(Ⅱ世)」は「宗谷」に随伴し、第一次日本南極観測隊を支援しました。東京からケープタウンまでは、航海実習や海洋調査を行い、その後、宗谷と合流して南極に向いました。現在も海鷹丸(Ⅳ世)は南極地域観測隊の別働隊として南極の海洋観測を行っています。

ふじ

しらせ(初代)

しらせ(2代目)

「宗谷」お引越し

37年ぶり!“動く宗谷”

2016年9月23日、船の科学館前に係留されていた「宗谷」がタグボートに曳かれ、海上を対岸まで移動しました。
岸を離れるのは実に37年ぶり!久しぶりに風を受けるってどんな感じだったでしょうね^^

今回の移転は、新客船ふ頭ターミナルの新設工事のため。レンボーブリッジをくぐって晴海ふ頭まで行けない大型客船を、ブリッジ手前のこの辺りで受け入れようというわけですね。日本に寄港する客船がどんどん大型化し、クルーズ人口も増える中、東京都はクルーズ客船誘致を積極的に図っていくのだそうです。
現在22万トンクラスが就航しているので、2736トンの「宗谷」の・・・・・80倍っ!! もはや船というより町がやって来る感じでしょうか^^;

そんな一生縁がなさそうな豪華客船よりも、まずは“動く宗谷”をライブで見ておかねばと、行ってまいりましたー。小雨が降る中のお引っ越しです!

出船から入船へ!

移動場所は、上の写真のように20~30メートル離れた対岸。すぐ近くですが、これまでは船首が海側を向いた“出船(でふね)”スタイルでの係留だったのが、今度は陸側を向いた“入船(いりふね)”に。そのため作業は、船の曳出し(ひきだし)→30メートル程沖合で180度方向転換→接岸、という流れでした。

当日、岸壁の近くは立ち入り禁止。早朝だし雨だしで、そもそも人はいませんでしたが^^
曳出し作業の開始は6:30。「宗谷」は沖合に設置されたクレーン付き台船に引っ張られ、ゆっくりと滑らかに動いていきました。

曳航するのは、船首、船尾、左舷、右舷に配置された4隻のタグボード。
タグボートの威力は、昨年「SHIRASE5002」のドック入りの時に目の当たりにしましたが、今回驚いたのが、船を押すことなく引っ張りだけで曳航していたこと。作業員の方によると、船体にかかる負荷を考慮してだそう。

さすがに幾多の苦難を乗り越え、船齢も立派な「宗谷」へのいたわりの心?なーんて感傷や心配はよそに、沖まで出た「宗谷」(78歳)は華麗な半回転を素早く決め、なにげに現役感を漂わせていました。

でも実際、海を行く「宗谷」を見たのは初めて。
船首をこちらに向けてゆっくり近づいて来る姿は、ちょっと感動でした。

着岸もロープの引き合いでバランスを取りながら・・・

最も慎重に作業していたのが、最後の着岸。
岸壁とドルフィン(海の中に設置した杭)の間の狭いところに船体を滑り込ませる時も、タグボートや陸上からロープで引っ張り合うバランスだけで移動させていました。
作業員さんの説明によると、これはかなり難しい技術らしいのですが、今回は「宗谷」のためにベテラン職人さんたちが集結!結果、予定時間よりもずいぶん早い9時頃に作業が終了したのでしたー☆

お引っ越し、無事終了

帰りに電車のゆりかもめから見たらこんな感じでした。
雪と氷の大陸・・・ではないですが、時を経てなお難しい接岸を無事成功させた「宗谷」。歴史にまた新たな1ページが。というか、個人的に心にきざませていただきました^^

移動の様子を動画で撮った「宗谷お引っ越しムービー」もありますよ
☆↓こちら↓☆
https://youtu.be/3ZvD6BBYDcA

(kao)

南極観測船「宗谷」航海記―航海・機関・輸送の実録

「宗谷」乗組員、観測隊員が初めて共同執筆。「宗谷」航海士、飛行士による第1〜7次隊のオペレーション全記録;船上業務、船内生活、観測隊の活動、砕氷航海の様子、オビ号、バードン・アイランド号による救出、タロ・ジロのエピソードを当事者が紹介。2015年度住田正一海事史奨励賞受賞。

南極観測船「宗谷」誕生の地(神奈川県横浜市)

「浅野ドック跡」記念碑

横浜に「浅野ドック跡」の記念碑があると聞き、さっそく行ってきましたー!!

浅野ドックといえば、灯台補給船だった宗谷を南極観測船に大改造した会社。
確かNHKの「プロジェクトX」でも、、、
宗谷はあまりに老朽化がひどくて大手の造船所ですら改造を断る中、
唯一手を挙げたのが、小さな修理工場の浅野ドックだったとか。
そして、横浜中の職人を集めて、1年にも満たない期間で大改修を成功させたとか。
カッコイイですね~♪

その「浅野ドック跡」は、みなとみらいを眺めるベイエリアの一画、
コットンハーバーのそばにありました…。

その下には「建立者:日本鋼管OB有志」と記されていました。
海側から記念碑を眺めると、こんな感じ。
初代南極観測船「宗谷」は、1956年にここで誕生したんですね。
港ヨコハマで働く職人たちの、技と情熱の結集の跡地です!

(k.suzuki)

「宗谷」出航祝典と記念講演会

出航式を待つ”宗谷”
2006年11月8日「宗谷」出港祝典が、船の科学館で開催されました。 
「宗谷」が初めて東京港晴海埠頭を南極に向けて旅立ったは、50年前の11月8日。当時の「出航式」を船の科学館に係留されている「宗谷」船上で再現しました。 

「しらせ」表敬訪問

宗谷の出港式典を終えた一行は、船の科学館から3台のバスに分乗し、出港準備に忙しい砕氷艦「しらせ」に表敬訪問しました。飛行甲板での挨拶のあと、10人程度のグループに分かれて、艦橋他を見学しました。

記念講演会「南極を支えた船物語」

南極観測50周年「記念講演会」のひとつとして、『南極観測を支えた船物語』が船の科学館1階オーロラホールで開催されました。

宗谷

初代の南極観測船である「宗谷」は1956年(昭和31年)11月8日に南極に向けて東京港晴海埠頭を旅立ちました。1962年(昭和37年)4月まで、6次にわたる南極観測に活躍しました。現在は、船の科学館前に係留され永久保存展示されています。

船の科学館 南極観測船宗谷のウェブサイト

現役引退をした「宗谷」は船の科学館(東京都港区・江東区)にて展示されています。