「しらせ(2代目)」タグアーカイブ

南極観測船

開南丸

白瀬日本南極探検隊が、南極探検に使用した船です。「開南丸」は東郷平八郎元帥によって命名されました。1910年(明治43年)11月に日本を出帆し、2度の南極航海に使われました。

宗谷

海鷹丸

東京水産大学(現在は、東京海洋大学)の練習船「海鷹丸(Ⅱ世)」は「宗谷」に随伴し、第一次日本南極観測隊を支援しました。東京からケープタウンまでは、航海実習や海洋調査を行い、その後、宗谷と合流して南極に向いました。現在も海鷹丸(Ⅳ世)は南極地域観測隊の別働隊として南極の海洋観測を行っています。

ふじ

しらせ(初代)

しらせ(2代目)

しらせ(2代目)進水式

2008年4月16日、京都府舞鶴市のユニバーサル造船において進水式があり、石破防衛大臣により「しらせ」と命名されました。東京から、南極OB会&南極倶楽部の有志が駆けつけ、その様子を見守りました。

南極OB会と南極倶楽部の有志による、バスをチャーターしての「新しらせの進水式」と「西堀栄三郎探検の殿堂」をめぐるツアーの様子を、画家の関屋敏隆さんが”貼り絵”にしてくれました。

しらせ(2代目)

コンテナ方式の荷役システム、船体塗装による海洋汚染を防ぐステンレス外装、新しいヒーリング(横揺れ防止)機構、散水システムなどを持つハイテク船で、観測隊員搬送数が60名から80名に増えました。
2008年4月16日、ユニバーサル造船(舞鶴、社名は当時のもの)において、進水式があり、防衛大臣から「しらせ」と命名されました。