「しらせ(初代)」タグアーカイブ

南極観測船

開南丸

白瀬日本南極探検隊が、南極探検に使用した船です。「開南丸」は東郷平八郎元帥によって命名されました。1910年(明治43年)11月に日本を出帆し、2度の南極航海に使われました。

宗谷

海鷹丸

東京水産大学(現在は、東京海洋大学)の練習船「海鷹丸(Ⅱ世)」は「宗谷」に随伴し、第一次日本南極観測隊を支援しました。東京からケープタウンまでは、航海実習や海洋調査を行い、その後、宗谷と合流して南極に向いました。現在も海鷹丸(Ⅳ世)は南極地域観測隊の別働隊として南極の海洋観測を行っています。

ふじ

しらせ(初代)

しらせ(2代目)

「しらせの時代」公開講演会

2016年1月23日、船橋市のSHRASE5002にて南極観測再開50周年記念事業として「しらせの時代」公開講演会が開催されました。

演題は以下のとおりです。
松原廣司「南極オゾンホール、定常気象隊員はどう観測し、伝えたか 」
東 信彦「氷床ドーム深層掘削計画顛末」
帖佐 正和「しらせ時代の航海」
大木 淳「海上自衛の電気推進装置装備艦の変遷」
佐藤 薫「大型大気レーダー観測、パンジー計画」
伊村 智「南極コケ坊主の発見」
三枝 茂「SHIRASEの現在とOBの皆様へのお願い」

しらせ(初代)

南極観測の拡大により、「ふじ」の輸送能力の限界となり、三代目の南極観測船である「しらせ」が建造されました。「しらせ」は1.5mの氷を3ノットで連続砕氷が可能で、1982年(昭和58年)から25年間、第25次から第50次まで南極観測を支えました。
その後、ウェザーニューズ社によって「SHIRASE5002」と改名され、現在は一般財団法人WNI気象文化創造センターにより気候変動・地球環境のシンボルとして一般公開されています。