2006年12月16日、南極観測50周年「記念講演会」のひとつとして、『南極観測の50年』が一橋講堂で開催されました。











講演者のみなさん 

星合孝男氏による司会 
小口高氏による講演 


川口貞男氏による講演 

松原廣司氏による講演 




藤井理行氏による講演 



講演会長でる渡辺興亞氏による挨拶 

スタッフ
講演会後には一橋記念講堂において懇親会が開催されました。各支部からの報告もありました。
JARE CLUB
2006年12月16日、南極観測50周年「記念講演会」のひとつとして、『南極観測の50年』が一橋講堂で開催されました。






























講演会後には一橋記念講堂において懇親会が開催されました。各支部からの報告もありました。



















昭和31年年11月8日に宗谷が東京港を出港して50年、かつて南極に情熱を燃やした若者達がいくつかの記念事業を計画しました。その一つが本書の刊行です。
本書では、隊員の思い出と、その喜び、そして苦労等を、観測の成果などにもふれながら、各分野から約100名の元隊員が執筆しています。

| 2006年11月8日「宗谷」出港祝典が、船の科学館で開催されました。 「宗谷」が初めて東京港晴海埠頭を南極に向けて旅立ったは、50年前の11月8日。当時の「出航式」を船の科学館に係留されている「宗谷」船上で再現しました。 |
















宗谷の出港式典を終えた一行は、船の科学館から3台のバスに分乗し、出港準備に忙しい砕氷艦「しらせ」に表敬訪問しました。飛行甲板での挨拶のあと、10人程度のグループに分かれて、艦橋他を見学しました。












南極観測50周年「記念講演会」のひとつとして、『南極観測を支えた船物語』が船の科学館1階オーロラホールで開催されました。








南極OB会は、公式記録とは異なった視点で、南極観測50年の歴史を残しておきたいと考えました。
本書は、南極事業を9つの側面に分け、それに即した9人の執筆代表者がぞれの分野で、人間模様、人間ドラマを中心に書き下ろしています。
チューインガムや即席ラーメンの裏話的逸話や、南極観測に掲げた血のにじむような努力や開拓精神、さらに村山雅美氏のインタビューもあります。
| 隊次 | 担当 | 氏名 | 参加時の所属 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 48次 夏隊 | 副隊長(夏隊長) | 小達 恒夫 | 国立極地研究所 | |
| 48次 夏隊 | 副隊長(ドームふじ) | 本山 秀明 | 国立極地研究所 | ドームふじ |
| 48次 夏隊 | 副隊長(夏期設営) | 野元堀 隆 | 国立極地研究所 | |
| 48次 夏隊 | 海洋物理 | 鈴木 英一 | 海上保安庁 海洋情報部 | |
| 48次 夏隊 | 海洋化学 | 杉本 綾 | 海上保安庁 海洋情報部 | |
| 48次 夏隊 | 測 地 | 白井 宏樹 | 国土地理院 測地部 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 新堀 邦夫 | 北海道大学 低温科学研究所 | ドームふじ |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 田中 洋一 | 国立極地研究所 | ドームふじ |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 平沢 尚彦 | 国立極地研究所 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 工藤 栄 | 国立極地研究所 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 韓 東勲 | (株)日本海洋生物研究所 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 星野 保 | 産業技術総合研究所 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 原 圭一郎 | 福岡大学 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 舘山 一孝 | 北見工業大学 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 笠松 伸江 | 国立極地研究所 | |
| 48次 夏隊 | 研究観測 | 藤原 明 | (株)ジオシス | |
| 48次 夏隊 | 建 築 | 橋本 斉 | 飛島建設(株) | |
| 48次 夏隊 | 建 築 | 寺田 司 | アトス(株) | |
| 48次 夏隊 | 建 築 | 科部 元浩 | 飛島建設(株) | |
| 48次 夏隊 | 土 木 | 高田 一三 | (株)北陸産業 | |
| 48次 夏隊 | 土 木 | 大熊 満代 | 西山都市開発(株) | |
| 48次 夏隊 | 機 械 | 福田 慎一 | (株)関電工 | |
| 48次 夏隊 | 機 械 | 木塚 孝廣 | いすゞ自動車(株) | |
| 48次 夏隊 | 設 備 | 高澤 直也 | (株)太平エンジニアリング | |
| 48次 夏隊 | 環境保全 | 笹倉 信也 | 恒栄電設(株) | |
| 48次 夏隊 | 庶 務 | 廣岡 義彦 | 岡崎統合事務センター | |
| 48次 夏隊 | 調 理 | 藤沢 正孝 | アートランドホテル蓼科 | ドームふじ |
| 48次 夏隊 同行者 | 研究者 | 高崎 聡子 | 国立極地研究所 | |
| 48次 夏隊 同行者 | 大学院学生 | 尾塚 馨一 | 福岡大学大学院 | |
| 48次 越冬隊 | 隊 長(越冬隊長) | 宮岡 宏 | 国立極地研究所 | |
| 48次 越冬隊 | 電離層 | 梅津 正道 | 情報通信研究機構 | |
| 48次 越冬隊 | 気 象 | 中村 辰男 | 気象庁 観測部 | |
| 48次 越冬隊 | 気 象 | 野村 幸弘 | 気象庁 観測部 | |
| 48次 越冬隊 | 気 象 | 島村 哲也 | 気象庁 観測部 | |
| 48次 越冬隊 | 気 象 | 岩坪 昇平 | 気象庁 観測部 | |
| 48次 越冬隊 | 気 象 | 松澤 一雅 | 気象庁 観測部 | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 藤本 泰弘 | フジ理研 | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 中島 英彰 | 国立環境研究所 | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 新井 直樹 | 電子航法研究所 | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 源 泰拓 | 気象庁 地磁気観測所 | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 中澤 文男 | 国立極地研究所 新領域融合研究センター | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 福井 幸太郎 | 国立極地研究所 | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 永島 祥子 | 国立極地研究所 | |
| 48次 越冬隊 | 研究観測 | 佐伯 浩介 | 東北大学大学院 | |
| 48次 越冬隊 | 機 械 | 半田 英男 | いすゞ自動車(株) | |
| 48次 越冬隊 | 機 械 | 千葉 政範 | 国立極地研究所 | |
| 48次 越冬隊 | 機 械 | 藤野 博行 | 五洋建設(株) | |
| 48次 越冬隊 | 機 械 | 加藤 直樹 | (株)関電工 | |
| 48次 越冬隊 | 機 械 | 金子 弘幸 | (株)大原鉄工所 | |
| 48次 越冬隊 | 機 械 | 中村 渉 | (株)日立製作所 | |
| 48次 越冬隊 | 機 械 | 久川 晴喜 | ヤンマー(株) | |
| 48次 越冬隊 | 通 信 | 若生 公郎 | 東北大学 | |
| 48次 越冬隊 | 通 信 | 戸田 仁 | 総務省 北海道総合通信局 | |
| 48次 越冬隊 | 調 理 | 島田 剛 | 銀兎 | |
| 48次 越冬隊 | 調 理 | 青木 裕和 | 四季の御料理きくや | |
| 48次 越冬隊 | 医 療 | 志賀 尚子 | 日本医科大学 多摩永山病院 | |
| 48次 越冬隊 | 医 療 | 小川 稔 | 近畿大学医学部 奈良病院 | |
| 48次 越冬隊 | 環境保全 | 加藤 凡典 | 大栄電設(株) | |
| 48次 越冬隊 | 環境保全 | 大嶋 淳 | 三機工業(株) | |
| 48次 越冬隊 | 多目的アンテナ | 菅原 仁 | NECテレネットワークス(株) | |
| 48次 越冬隊 | LAN・インテル | 前田 益彦 | KDDI(株) | |
| 48次 越冬隊 | 建 築 | 富樫 幸一 | (株)伊東組 | |
| 48次 越冬隊 | 装備・FA | 石崎 教夫 | 人間環境フォーラム | |
| 48次 越冬隊 | 庶 務 | 坂本 好司 | 国立極地研究所 |































2004年2月、雑誌の企画で南極半島クルーズを同行取材。その体験を思い出すまま綴ってみました。
南米アルゼンチンのウシュアイア港を起点に、南極半島と周辺の島々を巡る11泊のクルーズで、乗船したのは耐氷船ORION。
極地やガラパゴスなど秘境を巡る“探検客船”として新造された船で、快適性だけでなく、環境や生態系への影響に配慮した設備やルールも徹底されていました。
南極海の経験豊富なキャプテンの知識とコンパクトな作り(4050トン/キャビン数53室)を生かし、大充実&うれしいサプライズ満載のクルーズでした!




成田→シカゴ→ブエノスアイレス→ウシュアイアと、2日間の空の旅でぐったり。
さらに約1000kmのドレーク海峡はしっかり船酔い。
夢にまで見た南極を前に、まさかのテンション急降下・・・。
が、出港から45時間後、永遠に続くと思われた水平線上に島影発見!
近づくと、濃紺の海からアルプス山脈がそそり立ったような圧倒的光景が迫り、しばしあ然。
エレファント島でした。
シャクルトンの探検記は読んでいたので、興奮も感動もひとしお。
ここから一気にテンションが上ります♪
そして、この日の夜遅く、空には見たこともないたくさんの星☆
海も穏やかで、窓に差し込む月明かりのもと、夢のような現実に酔いながら眠りにつきました。


南極クルーズは天候に左右されることが多く、ルートも予定通りとはいきません。
でも小型船は小回りがきくうえ、サービス精神も知識も豊富なスタッフがいれば、その時々で
最適なルートや上陸地を選び、思いっきり探検気分を盛り上げてくれます。
アデリーやジェンツー、ヒゲペンギンの営巣地では、かわいいペンギンたちに目が釘付けに。
一方で驚いたのは、それまで映像や写真ではあまり目にすることのなかったたくさんの死骸。
生と死が普通に隣り合わせにある現実は、当たり前とはいえ衝撃を受けました。
そして、最高にロマンチックだったのがニューマイヤー海峡。
氷河に囲まれた入り江に入ってエンジンを止めると、一瞬にして時が止まってしまったかのような静寂。
でも、耳を澄ますとパチパチ、パチパチという音が・・・。
海に浮かんでいる氷に閉じ込められていた太古の空気が外にはじけ出る時の音で、山肌に反響しているのだとか。
周囲360度から奏でられる神秘のアイスサウンド、素敵すぎます♪





海外の観測基地も訪問。
今は博物館になっているイギリスのポートロックロイでは、お昼寝中のジェンツーペンギンたちを横目に中に入ると、基地時代の生活の様子がそのまま残されていました。
ひと通り見学し、あとは記念品を買ったり、日本への手紙を投函したり。
アルゼンチンのアルミランテ・ブラウン基地では、基地の裏にある小高い山登りにも挑戦。
雪の急斜面を夢中になって歩き続け、頂上にたどり着いたところで振り返ると、クラクラするほどの高さ。
降りるのが怖いなぁと思っていると、スタッフが先に降りながら雪面を固めて天然の滑り台を作ってくれました。
そこを私たちがお尻で滑り降りたのですが、これが予想以上にスピードが出て、転がるわ脱線するわで、もうワーワーギャーギャー(笑)。
外で遊ぶのがこんなに楽しいと思ったのは子どもの時以来かも。
最初に行く予定だったアルゼンチンのエスペランサ基地は、強風で上陸がかなわず残念でした。


一番感動したことといえば、パラダイス湾でのゾディアッククルージング。
氷の上ではヒョウアザラシが寝ぼけ眼でこちらを見ているし、ペンギンたちはエサを求めてピョンピョン跳ぶように泳いでいます。
さらに、クジラが数頭やって来て、なんとゾディアックを囲んでグルグル回ったり、下をくぐり抜けたり。
中にはゾディアックよりも大きいものもいて、近くを通る時は波を立てないように気を使ってくれているようでした。
寒さも忘れ、またもやみんなで大はしゃぎ。
大自然は、いい年をした大人を子どもにします!
南極の海に慣れたスタッフもクジラに遊んでもらったのは初めての経験だったようで、まさに奇跡!
信じられないことが次から次へと起こるクルーズなのでした。




さらに活火山のあるデセプション島へ。
クルーが砂浜に即席の露天風呂を掘ってくれました。
南極の温泉の正しい入り方は、まずは写真のように足を高く上げて・・・
というのはウソです。へへ。“デセプション”島ですから。
温度は40度近くあって、皆さんあったかい温泉と冷たい海を行ったり来たり。
近くでペンギンたちが散歩しているかと思えば、目の前の海からいきなりオットセイが巨体を揺すりながら現れ、
まっすぐこちらへ! あわや混浴!!!
こんな露天風呂、地球上のどこを探してもないでしょう。
遠くの山は不思議な地形で、なんだか別の惑星に来てしまったかのような錯覚に陥ります。
そりゃテンションも足も上がりますね(笑)。
また、この島は調査基地や捕鯨基地、南極初の空港もあった場所で、その跡がそのまま残されていました。




クルーズ最後は「ここ、ほんとに南極?」という感じの、芝生のように緑が広がったリビングストーン島のとある地点を散策。
羽毛が抜けきらないジェンツーペンギンの子どもたちが、水たまりで泳ぎの練習をしていました。
ミナミゾウアザラシもゴロゴロしていて、なんだか平和です。
11日間のクルーズは、とにかく毎日がサプライズの連続。
そんな中、今もはっきり覚えているのは「この思い出があれば一生生きていける」と思ったこと。
ちょっと大げさに感じるかもしれませんが、南極の自然はそれほど強烈で、豊かかつ謙虚な気持ちにさせてくれたのでした。
本当に宝物の思い出です。
しかし、南極の自然はクセになります。2年後、取材の機会を得て再び南極半島クルーズへ。
ま、一生の思い出は多いに越したことありません(笑)。





(k.suzuki)
南極観測の拡大により、「ふじ」の輸送能力の限界となり、三代目の南極観測船である「しらせ」が建造されました。「しらせ」は1.5mの氷を3ノットで連続砕氷が可能で、1982年(昭和58年)から25年間、第25次から第50次まで南極観測を支えました。
その後、ウェザーニューズ社によって「SHIRASE5002」と改名され、現在は一般財団法人WNI気象文化創造センターにより気候変動・地球環境のシンボルとして一般公開されています。





































コンテナ方式の荷役システム、船体塗装による海洋汚染を防ぐステンレス外装、新しいヒーリング(横揺れ防止)機構、散水システムなどを持つハイテク船で、観測隊員搬送数が60名から80名に増えました。
2008年4月16日、ユニバーサル造船(舞鶴、社名は当時のもの)において、進水式があり、防衛大臣から「しらせ」と命名されました。








































初代の南極観測船である「宗谷」は1956年(昭和31年)11月8日に南極に向けて東京港晴海埠頭を旅立ちました。1962年(昭和37年)4月まで、6次にわたる南極観測に活躍しました。現在は、船の科学館前に係留され永久保存展示されています。













現役引退をした「宗谷」は船の科学館(東京都港区・江東区)にて展示されています。




















