「南極つながりレポート」カテゴリーアーカイブ

SHIRASE5002の「南極OB会展示室」(千葉県船橋市)

SHRASE5002の南極OB会展示室は2021年に場所を移転しました。本記事は2016年時点での状況であり、現在の状況とは異なります。

千葉県船橋市のSHIRASE5002では「チャレンジングSHIRASE」という公開イベントが定期的に行われており、南極OB会も毎回参加。お客様と交流しています!
写真や資料で南極をわかりやすく紹介したり、古い観測機材などを展示したり、スタンプラリーで南極クイズを出して楽しんでもらったり、オリジナルグッズを販売したり。回を重ねるごとに進化を遂げているOB会展示室をご案内します。

(kao)

白瀬南極探検隊記念館と白瀬矗の生家(秋田県にかほ市)

白瀬南極探検隊記念館

白瀬南極探検隊記念館

白瀬矗の生家

金浦勤労青少年ホームは海を見渡す高台にあり、そのすぐ裏手に白瀬矗の生家「浄蓮寺」とお墓がありました。墓碑は元総理大臣の岸信介が揮毫し建立したもので、三角形の自然石は南極の氷山を表しているそうです。

(suzu)

西堀榮三郎さんのお宅を訪問(東京都大田区)

2013年2月9日、東京都大田区鵜の木にある、日本南極地域観測隊第1次越冬隊長
(故)西堀榮三郎さんのお宅を訪問しました。
1937年ご本人の設計による築75年の、とても魅力的な山小屋風の建物です。

東急多摩川線鵜の木駅から徒歩3分、うっそうたる木々が生い茂る一角が見えてきました。入口の看板には、残念ながら、2月末で、一般公開は一度おしまいにするとの案内がありました。家への登り口は、まるで登山道のはじまりのようです。

西堀邸は、山小屋をイメージして、茶色で統一しているようです。
築75年とは思えぬ立派な造り。
入口のベルは、ひもで引っ張るカウベル。
家の入り口では、樹齢80年のヒマラヤスギが出迎えくれます。

玄関から家の中に入ったところ。重厚なたたずまいの廊下。

この家で、第一次越冬隊員候補の集まり (家族ぐるみで) が何度も開かれたそうです。

リビングの様子。
桜の無垢のテーブルとイスが際立っています。
年代物のピアノは、調律ばっちりだそうです。
キッチンとの間には、カウンター式ハッチがあり、食事の受け渡しができるようになっています。
昭和基地の食堂と同じつくりですね。
居間の鳩時計は、西堀さんが結婚祝いに南ドイツから購入したものとのこと。
ここは応接間。(故)植村直己さんらもよく訪れていたとのこと。
その後は、いろんなセミナーとかにも使われていたようです。
ベランダから眺める庭の景色が素敵です。
この部屋の下には、戦時中は防空壕が掘ってあったとのことです。
2階には寝室が5つほどあり、さらに屋根裏部屋も。
ベランダなども付いていて、とても快適そう。
3時のお茶の時間には、西堀峯夫さんお手製のブリュスケッタをご馳走になりました。
室内には、いろいろと西堀さんゆかりのものの展示があります。
これは、81歳の時の正月にしたためられた色紙。なかなか達筆です。
玄関を入っていきなり出迎えてくれるのが、このペンギンの上半身のはく製。
なんでも、胴体から下は帰路に腐ってしまったので、ペンギンの全身のはく製を作ることができずに、このような形になってしまったとか。
羽(フリッパー)も、変な場所についています。ちなみに、今では南極の生物をこのように持ち帰ることは許されていません。
この暖炉は、家の建設中に、西堀榮三郎さんがご自分でレンガを積んで作ったものだそうです。
「東芝」にもかつて務められたことがある西堀さん。
このテレビは、南極越冬から帰ってきてから購入されたとのことです。
NHK朝ドラ「梅ちゃん先生」にも出てきていましたが、本物ですね。
西堀榮三郎さんと奥様
現在このお宅とドイツを行き来されている、西堀榮三郎さんの三男・峯夫さんとのツーショット。

中島 英彰

杉村楚人冠記念館(千葉県我孫子市)

杉村楚人冠(本名 広太郎)は、明治末期から昭和前期の東京朝日新聞で活躍したジャーナリストだそうです。独特の皮肉とユーモアにあふれた文章は人気を博し、まだ現役の文筆家として活躍しているうちから全12巻の予定で全集が刊行され、さらに増刊されて18巻にも及ぶそうです。

白瀬矗の南極探検を、朝日新聞社から自らもペンで支援を続けた杉村楚人冠。
杉村楚人冠記念館の展示は、旧杉村楚人冠邸の母屋をそのまま利用して、楚人冠が書いた記事、白瀬や船長野村直吉の書簡が展示されてました。

夏期企画展「白瀬中尉の南極探検と楚人冠」

和室と、茶の間の二部屋が展示スペースとなっていました。

楚人冠は、外電および通訳の担当として東京朝日新聞に採用され、ピアリの北極到達疑惑に関する記事を日本でも報じたそうです。

白瀬矗や野村船長からの書簡が展示されてました。

解説書500円、40ページあり、展示品に関する解説が細かく載っています。書簡や、記事のスクラップから読み取れる背景などが詳しく解説されていました。

楚人冠は、義援金集めの講演会で説明したり、南極探検の連載記事を書いたり、野村船長が一時帰国したときも特派員として長崎に迎えに行き神戸まで同船して聞いた内容を記事にまとめるなど、南極探検へ並々ならぬ支援をしていたようです。

(T.ABO)

南極観測隊員のお店「プロペラキッチン」(東京都府中市)

大澤利幸さん

西武多摩川線・多磨駅のロータリーの真ん前。
“イタリアンからアメリカンフーズまで”をキャッチフレーズしたお店「プロペラキッチン」。
第30次越冬隊でピラタスの操縦桿を握っていた大澤利幸さんのお店です!

酒の品揃えもとっても豊富!
生ビールも3種類以上あって、酒屋さんから「お酒の種類が都内で一番多い店」なんて言われたそうです。
珍しい酒やこだわりの日本酒もあったりして・・いろいろ楽しめちゃいます。

訪ねたのは冬で、おすすめは“生のオリーブ”。
イタリアでもぎたてを直接、空輸&購入しているとか。
オリーブって、こんなに実が大きくて青々してるんだ!
とちょっと感動。とても気に入りました。

そして“世界のソーセージ”。いろんな味が楽しめまます!

次におすすめは、”羊のケバブ”
 トルコ料理・・、
 イタリアンからアメリカンフーズの間にあるのかな?
 ってなこと考えながら、パクリ!!
 
 「“羊のケバブ”と“ミラノのサラミ”と“生のオリーブ”を
 一軒で食べられるのはココだけかも」と大澤さん。

お店は、駅の改札の反対側、線路をくぐったローター脇にあって、落ち着いたたたずまいで迎えてくれます。
1階は、テーブル、カウンター、小上がりのバリエーション。
2階には、宴会に最適な個室もあります。思いきりくつろげそう。。

飛行機やプロペラのオブジェや写真はありますが・・あれ?南極モノはめだちませんね。
お得なコース料理や、南極OB割引?もあるそうです。ぜひ一度、お訪ねください。

プロペラキッチンのHPはこちら↓
http://propellerkitchen.com/

(k.suzuki)

南極観測船「宗谷」誕生の地(神奈川県横浜市)

「浅野ドック跡」記念碑

横浜に「浅野ドック跡」の記念碑があると聞き、さっそく行ってきましたー!!

浅野ドックといえば、灯台補給船だった宗谷を南極観測船に大改造した会社。
確かNHKの「プロジェクトX」でも、、、
宗谷はあまりに老朽化がひどくて大手の造船所ですら改造を断る中、
唯一手を挙げたのが、小さな修理工場の浅野ドックだったとか。
そして、横浜中の職人を集めて、1年にも満たない期間で大改修を成功させたとか。
カッコイイですね~♪

その「浅野ドック跡」は、みなとみらいを眺めるベイエリアの一画、
コットンハーバーのそばにありました…。

その下には「建立者:日本鋼管OB有志」と記されていました。
海側から記念碑を眺めると、こんな感じ。
初代南極観測船「宗谷」は、1956年にここで誕生したんですね。
港ヨコハマで働く職人たちの、技と情熱の結集の跡地です!

(k.suzuki)

南極観測隊・調理隊員のお店、「Mirai」(神奈川県横浜市)

 旅と船がテーマのダイニングバー

横浜・関内駅近くにある「BAR de 南極料理人 Mirai」。
店内に一歩入ると、オーロラや氷山や船の写真、世界地図、旅雑誌などなど、南極や旅のアイテムがズラ~リ。
どれも遠い場所の非日常なものばかりなのに、なぜかアットホームな雰囲気満点!
大きなスクリーンやモニターもあって、常時、南極映像などが流れてます。
このダイニングバーのオーナーは、右にいる、そう!ペンギンさん・・・ではなくて・・

 33次と50次で調理を担当された篠原さん

オーナーシェフはこの方!篠原洋一さん。
厨房のカウンター越しに、優しい笑顔で迎えてくれます^o^
篠原さんは、憧れのオーロラを見たくて第33次南極観測隊の調理スタッフに志願。帰国後は客船「飛鳥」で14年間シェフとして働き、舌の肥えたセレブな乗客たちをうならせつつ、世界を計9周、70カ国200都市を訪ねた方。でも、もう一度南極に行きたい!という思いから「飛鳥」を辞めて第50次で再び南極へ。
50次隊出発前の篠原さんをドキュメンタリー番組の「情熱大陸」が追っていましたが、ホント穏やかな笑顔の内にまっすぐな情熱を秘めた方なんですよね。

お勧めのメニュー「エビとホタテのアヒージョ」

お勧め料理「エビとホタテのアヒージョ」をいただきました。
アツアツ湯気と香ばしいニンニクで、運ばれてきた瞬間に食欲はマックス!!
とっても美味しくて、さらにこのニンニク&オリーブオイルたっぷりのスープに薄切りのバゲットをしみ込ませて食べるとメチャウマ~♪
スペイン料理だそうです。

ラッキー!恵方巻

お邪魔したこの日はたまたま節分だったんですが、篠原さんからお客さんたちにナント恵方巻の大サービス(しかも満席!)。
さすが、イベントを大事にする&サービス精神超旺盛な南極の料理人さんっ!ありがとうございます♪
プロが作った贅沢な恵方巻・・これで私もシアワセな1年が送れそうです・・?

メニューは和洋いろいろ

バーなのでワインをはじめドリンクメニューはもちろん豊富!
料理はどれも美味しくて、和風洋風さまざまあり!!
昨年秋、ドラマ「南極大陸」の番組PRで俳優さんたちや安住アナウンサーがここに来てましたが、その時食べていた「スパムおにぎり」も美味しそうだったので(実際に南極でも好評だったとか)次回ぜひトライしたいと思います。

お店のホームページはこちら↓
http://travelbar-mirai.com

(k.suzuki)

カラフト犬慰霊像(大阪府堺市大浜公園)

このカラフト犬慰霊像は、昭和33年7月に堺市在住の獣医で彫刻家の岩田千虎氏がコンクリートの像として制作し、当時水族館の南側遊園地に設置されたものを、昭和62年3月に岡村哲伸氏がブロンズ像に復元制作したんですね。

昭和33年7月というと、タロ・ジロの生存はまだわからなかった時。
今は、子供の遊び場となっていて、犬の背中はテカテカ☆してました
(この時も写真撮り終わるのを待って、子供たちが背中に乗ってました)
遊んでくれる子がいて・・犬たちも寂しくなさそうです。

昭和三十二年二月十五日より昭和三十三年二月十一日まで
南極観測隊 第一次越冬隊に協力した
樺太犬の霊の為に
昭和三十三年七月六日
第一次越冬隊
隊長 西堀榮三郎
この「樺太犬慰霊像」は昭和33年に彫刻家岩田千虎氏によって、コンクリート製で製作されたものですが、老朽化のため、此の度原型に忠実にブロンズ製の像に復元したものです.
昭和62年3月31日
施主 堺市
施工者 (株)白石彫刻研究所
監修 白石正義
このカラフト犬慰霊像は昭和33年7月に南極地域観測隊の第一次越冬隊(S32.2.15~S33.2.11)に協力した15頭のカラフト犬の霊を慰めるため堺市在住の獣医で彫刻家岩田千虎氏が別れを惜しみながら立去って行く越冬隊員に向かって遠吠えを続けている姿をコンクリートの像に仕上げ 市に寄贈され 当時水族館の南側遊園地に設置されたものですが 像の風化が著しくなったので このたび原型像に忠実にブロンズの像に復元制作したものです
昭和62年3月31日 堺市公園部

大阪府堺市堺区大浜北町4-3-50
南海本線「堺駅」より徒歩10分

(T.ABO)

白瀬日本南極探検隊100周年記念碑(東京都立川市)

1912年1月28日、白瀬日本南極探検隊は南極「大和雪原」に到達した日です。
その日の偉業を記念し、ちょうど100年後の2012年1月28日に、国立極地研究所のキャンパス(立川市)に記念碑が建立されました。
記念碑には建立の経緯と白瀬隊長他30名の顔写真が刻まれています。

極光
白瀬日本南極探検隊の顔

白瀬日本南極探検隊
秋田県出身のを隊長とする「白瀬日本何局探検隊」は1910年(明治43)年11月28日, 芝浦埋立地で開催された盛大な壮行会の後, 翌29日僅か204トンの木造機帆船「開南丸」で南極点を目指し出帆した. 1912(明治45)年1月16日, 南極ロス海鯨湾に到着, 白瀬隊長率いる突進隊は, 1月28日南緯80度05分, 西経156度37分に到達し, 付近一帯を「」と命名. また, 沿岸隊は岩石や生物標本など, 多くの学術資料を収集した. 南極点到達には至らなかったものの, 6月20日に全員が無事帰国し, 南極に関する多くの知識をもたらした.
 この探検の成功は, 国際地球観測年(1957年~1958年)における日本の南極観測への参加に際しての大きな礎となった.
 今般, 大和雪原到達100周年を迎えるにあたり, 白瀬日本南極探検隊の偉大な功績を広く後世に伝え, 永く歴史に留めるため, この碑を建立する.

東京都立川市緑町10-3
多摩モノレール 高松駅下車、徒歩10分
JR立川駅北口から徒歩25分

(Kanda)

気象科学館(東京都千代田区)

気象科学館は2020年6月に東京都港区虎ノ門に移転しました。この記事は移転前の内容です。

気象庁のマスコット「はれるん」が出迎えてくれます。

気象庁は、1次隊から毎年気象隊員を派遣して、南極の気象を見つめ続けています。気象科学館には、1次隊の気象観測野帳が展示されています。

気象野帳(1次隊)
西堀隊長の直筆記録

西堀隊長の観測は、
昭和32年2月19日、12:30UTC(現地時間で15時30分、日本時間では21時30分)の観測結果が記入されています。

北東の風、1.3m/s、気温-3.8℃、湿度67%、海面気圧989.2hPa、現地気圧987.4hPa、全天のほとんどをおおうSc(層積雲)と、ちょっぴりAc(高積雲)・・の曇り。

気温に100を加えたり、風速や湿度の計算、器差補正、高度補正など
昔の手法で・・貴重な資料ですね。

村越気象隊員の直筆記録

こちらは、村越隊員
2月20日06UTC(現地時間で09時、日本時間だと12時)の西堀隊長の記録の翌日の観測結果が記入されています。

東北東の風、1.0m/s、気温-4.7℃、湿度68%、海面気圧989.7hPa、現地気圧987.9hPa、全天のほとんどをおおうCu(積雲)、ちょっぴりのAc(高積雲)とCs(巻層雲)・・の雪、視程(ものが見える距離)は20kmでした。
この雪の降り始めは08時50分ということがわかります。

(T.ABO)