「書籍紹介」カテゴリーアーカイブ

まぼろしの大陸へ 白瀬中尉南極探検物語

白瀬矗(のぶ)が「開南丸」で南極を目指したのは1910年11月29日のことでした。白瀬を含む8人の探検隊員と18人の乗組員、29頭のカラフト犬を連れての旅立ちでした。長さ30メートル、幅7メートル、204トンの木造帆船であったといいます。こんな小さな船で南極を目指すなど気違い沙汰だと取りざたされるなか、白瀬は長年の夢を実現させるべく当時は未知といわれた南極大陸を目指したのでした。探検家の多くが南極点一番乗りを競った時代でした。1911年の12月にノルウェーのアムンセン隊が、1912年1月にイギリスのスコット隊が南極点に到達しています。白瀬隊は南極点に立つことはできませんでしたが、1912年1月、ロス海の棚氷上の南緯80度5分、西経156度37分に日章旗を立て、その一帯を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し帰途についたのです。この本はそのような不屈に生きた白瀬矗の幼少期から85歳で生涯を閉じるまでを描いた児童書です。著者の池田まき子さんは「一人でも多くの方に探検一筋を貫いた白瀬矗の生き方、未知の世界に挑む探検精神などを知ってほしい」と言っています。来年(2012年)はその白瀬矗が「大和雪原」に立ってから100周年に当たります。お子様やお孫さんたちと共に白瀬矗の生涯に思いをはせてみる良い機会ではないでしょうか。

(福谷博,会報12号)

国境なき大陸南極―きみに伝えたい地球を救うヒント

私が中・高校生向きに書き下ろした『国境なき大陸 南極』(冨山房インターナショナル刊)の一部が、学校図書発行の小学校の教科書、『みんなで学ぶ小学校国語6年 下』に10ページにわたって掲載された。page8image2693674800次世代を背負う子どもたちが南極に関心を持ってくれるきっかけになれば、これほど嬉しいことはない。51次隊からは始まった教員派遣プロジェクトとあいまって、ますます教育の世界に南極の素晴らしさが広がっていくことを期待したい。

(柴田鉄治,会報29号)

もう一つの南極史

 我が国の南極観測は、一昨年度、50周年を迎えた。文部科学省からは、その正史となる「南極観測五十年史」が昨年発行された。また、50周年を機に、南極OB会編の本を初めいくつもの出版があり、その歴史がさまざまに語られ評価された。小玉正弘氏の著となる「もう一つの南極史」は、表題が示すように、これまであまり知られていなかった事実、少なくとも南極の長い歴史からすると若輩者の小生は知らなかった多くの事実が著者の深い想いとともに語られており、南極OB諸氏はもとより多くの人に一読をお勧めしたい本である。
 この著書全体を貫くのは、宇宙線およびオーロラ研究における著者のパイオニア精神である。地球磁場の緯度効果を探る宇宙線船上観測、オーロラX線観測、南極ーアイスランド地磁気共役点観測、ポーラーパトロール気球観測など、著者は、我が国あるいは世界で先駆けとなるさまざまな観測を果敢に手がけ、現在の我が国の高度な宙空系研究観測の礎を築いた。こうした先駆的な研究への熱き想い、意義と成果などを含め、さまざまなエピソードを本書から知ることができた。日本の得意とするポーラーパトロール気球観測(PPB)の名付け親が著者であり、その理由が当時はやっていたテレビドラマ「ハイウェーパトロール」から来ていることなどのエピソードも紹介している。また、宇宙線の特性を生かした宇宙線雪量計の開発など宇宙線応用学といえる分野の開拓話も書かれている。この宇宙線雪量計は、1985年の科学技術庁長官賞を受賞した優れた発明である。
 第1次観測隊に参加して以来南極の宇宙線研究を推進していた著者には、第3次隊、第4次たいに参加した理化学研究所宇宙線研究室の後輩の福島紳氏は、研究の将来を託す若き後継者であった。その福島紳氏の南極での不遇の最期は、著者の心に生き続けており、本書では、第一部七話「さようなら、フクシマ」、第二部六話「鎮魂の譜」などに多くページを割いている。また、本書の末尾に「(略)なんとか脱稿までこぎつけることが出来たのは、、、、(略)、、、、故福島隊員への懺悔の気持ちが後押しをしてくれた」と述べている。
 福島隊員の遭難は、著者が「今後も長く続くであろう南極観測のためには、一つの貴い礎として、いつまでも人々の心の中に生き続けて欲しいと願う」ように、観測隊の安全対策にさまざまに生かされている。また昭和基地の越冬隊は、福島隊員が行方不明となった10月10日には、福島ケルンで慰霊祭を行い、故人の冥福を祈るとともに、行動への安全の誓いを新たにしている。
 また、「ふじ」の就航とともに、防衛庁が南極観測事業に関わるようになったことに対する学会の反応など、一部聞いていたことではあるが、本書ではその断片を知ることが出来た。著者の第14次隊隊長の話が幻となるのも、同時に南極の宇宙線にかけた著者の夢が散ったのも、自衛隊問題の後遺症と言えることも知った。第一部九話「激動の中で」で語られていることである。今では想像もできないような南極観測の歴史の一断面である。
 著者にとっては、「激動の嵐にただ翻弄されて」、「宇宙線からの撤退は余儀なくされたが南極への情熱まで失ったわけではない」。南極の宇宙線部門は、オーロラX線観測に新たな活路を見出した。また、著者は、前述した南極ーアイスランド間共役点観測を日米共同観測として実施する等、新たな研究を展開し学会をリードした。
 本書は我が国の南極観測の黎明期、発展期の歴史の貴重な一断面を描き出している他、中学校の同級生である哲学者梅原猛についても語る等、興味ある内容となっている。多くの人に一読を勧めたい。
(藤井理行、会報3号)

南極観測隊―南極に情熱を燃やした若者たちの記録

 昭和31年年11月8日に宗谷が東京港を出港して50年、かつて南極に情熱を燃やした若者達がいくつかの記念事業を計画しました。その一つが本書の刊行です。
 本書では、隊員の思い出と、その喜び、そして苦労等を、観測の成果などにもふれながら、各分野から約100名の元隊員が執筆しています。

ニッポン南極観測隊 人間ドラマ50年

 南極OB会は、公式記録とは異なった視点で、南極観測50年の歴史を残しておきたいと考えました。
 本書は、南極事業を9つの側面に分け、それに即した9人の執筆代表者がぞれの分野で、人間模様、人間ドラマを中心に書き下ろしています。
チューインガムや即席ラーメンの裏話的逸話や、南極観測に掲げた血のにじむような努力や開拓精神、さらに村山雅美氏のインタビューもあります。