「南極つながりレポート」カテゴリーアーカイブ

樺太犬像(東京都港区芝公園)

ライトアップの脚元で…

つい見上げがちな東京タワーですが、
その下には南極観測で活躍したタロジロら15頭の樺太犬の像があります!
東京タワーができた翌年の1959年に造られたそうで、
15頭がここで平和に暮らして実に半世紀以上!!

で、なんで東京タワー?

日本動物愛護協会が、南極で活躍した樺太犬たちの慰霊のために建てられたもので、造った人は、渋谷のハチ公も制作した彫刻家安藤士さんなのですね。

お昼の樺太犬たち
タワー大展望台から眺めた夜景

(k.suzuki)


15頭の犬たちは、東京タワーの敷地整備事業により、お引越しすることになりました。このため、2013年5月15日に撤去作業が開始され、現在は、東京タワーで見ることができません。引越し先は、国立極地研究所です。極地研も板橋から立川に移転して、敷地も広くなったことだし、きっと、犬たちも楽しみにしていることでしょう。

(t.abo)

南極観測隊・調理隊員のお店、旬菜厨房「八十八」(東京都新宿区)

フレンチから沖縄料理まで・・・

南極観測隊調理人さんのお店「八十八(やそはち)」です!
店名は、88もの手間暇をかけてようやく口に入るという「お米」の字にちなんだもので、お客様に一日一日を頑張ってもらえるよう、心を込めて料理を提供していきたい!
細く長くお店をやっていきたい!そんな思いから付けたそうです。

そんなステキな店名の由来を語ってくれたのは、第21次で調理スタッフとして参加された中村喜昭さん。「八十八」のオーナーシェフです。

見かけ通り?シャイな方ですが、東日本大震災の時はいち早く”炊き出し”に駆けつけステーキを振舞ったり、子ども料理教室で食育に取り組むなど、とっても情に厚くて行動的な方でもあります。

群馬から上京して「東條会館」で6年間修行を積み、その間ずっと南極観測隊員になるのが目標だったという中村さん。そして実現したのが、なんと21歳の時!!

「人生の先輩ばかりの中で、頼りは自分の腕だけ。あんなに大変だとは思わなかったけど、あんなに仲間っていいなぁって思ったことはないね」と、お店に飾ってある南極の石を愛おしそうに見つめながら話してくれました。

「海ぶどうはガバっと食べなきゃうまくないよ」と言われ、ついつい泡盛までガバッと進み・・・。
島らっきょう、ゴーヤチャンプルも美味~! これまた泡盛が進み・・^^/

中村さんの奥様が沖縄ご出身ということで、沖縄料理が超充実!
オーダーすると奥様の面白トークも付いてきます!?
ご夫婦とっても仲良し♪

仕上げの沖縄そばは「3人前を5つのお茶碗に分けて」なんてわがままも聞いてくれちゃいました。

さまざまな隊員が集まる「八十八」には、南極の写真を始め関連アイテムがいっぱい飾られていて、和みムード満点!障子の「南極大陸21」の文字は、お客さんが発泡スチロールで手作りしてくれたものだそう。

東京都新宿区新宿1-29-7 ウエステリアビル B1F
東京メトロ丸ノ内線 新宿御苑前下車、徒歩3分

( k.suzuki )

南極の石(東京都千代田区日比谷公園)

南極の石

その石は、日比谷公園の「心字池」のほとりにありました。

でも、なんかロープからはみ出てるし・・そっと戻してやりたい気分・・

案内板には「この石は、南極昭和基地から4kmの地点にある東オングル島の慎太郎山(標高40m)で、日本の南極観測隊が採取しました。重さは150kgの片麻岩です。南極観測船「ふじ」が持ち帰り、昭和41年4月14日。この公園に設置されました。」とありました。

「ふじ」初航海(第7次隊)のお土産のようですね。
片麻岩は、石英とか雲母とかいろんなツブツブが入っていて、ザラザラ&ちょっとキラキラしています。

そして、南極の石のそばには・・・
・ヤップ島(ミクロネシア連邦)で使われていた、直径約1mの石のお金。
・スカンジナビアの人々が、北極経由の日本航路開設を記念し、寄贈された古代北欧文字が書かれた石碑。
という珍しい石もありました。

なので、日比谷公園に行くと、地球の南端→真ん中→北端を20歩くらいで見て歩くことができます!?

日比谷公園
東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関」下車(B2)出口すぐ、東京メトロ日比谷線・千代田線・都営地下鉄三田線「日比谷」下車 (A10・A14)出口すぐ
JR「有楽町」下車 徒歩8分

(k.suzuki)

南極探検発祥の地(東京都港区)

南極探検記念碑

南極さがし第1弾は、ズバリ日本の南極探検発祥の地!
スタートはJR田町駅。芝浦口を出たら海方向にひたすら歩き、高速道路をくぐったら左折します。そこにひっそりとあるのが埠頭公園。その入り口にペンギンのブロンズ像と開南丸のレリーフ、そして白瀬矗隊長以下27名の名前が刻まれた記念碑が建っています。そう、ここは1910年に白瀬隊を乗せた開南丸が出航した場所。日本人初の偉業を後世に伝えるべく1936年に建てた記念碑だそうです。
・・・とはいえ、周りはビルや倉庫群、横を高速道路が走っていたりして正直あまりピンとこない。が!かつてこの辺りは青い海。そのずっとずっとずーっと先に広がる未知の大陸への大きな夢を抱き、白瀬隊はここから小さな帆船で第一歩を踏み出したんですね。
ということで、この小さな公園すべてが南極がテーマなんです!

埠頭公園の遊具やオブジェ

ペンギンもいたり・・・
池のような場所にはペンギンたち。
氷山の上から遊具や砂場で遊ぶ子どもたちを見守っています。


開南丸もあったり・・・
遊具になった開南丸。近代的ですが温もり感じる木製です。
その周りにはクジラとか海の仲間たちもたくさん!

初代しらせのスクリュー

背丈よりも大きいプロペラ
海上自衛隊が港区に貸し出しているホンモノです(4枚で1つのスクリュー)。
1982~2007年まで日本と南極を行き来してたんですね。
よく見ると先端にイボイボ?
この数個のボルト、実は複数のスクリューが高速回転するときにブレを防止するために取り付けられたものだそう。専門家に聞いたレア情報でした。

【埠頭公園】
港区海岸3丁目14番34号
新都市交通ゆりかもめ「芝浦ふ頭」駅より徒歩4分
JR「田町」駅より徒歩15分

(k.suzuki)

白瀬矗のお墓(愛知県吉良町西林寺)

南極探検隊長 大和雪原開拓者の墓

2011年9月4日、台風の影響でじゃんじゃん降りでしたが、吉良の瀬門神社社務所で、探検家白瀬矗をしのぶ会がありました。

2011年は南極へ出発してから100周年、そして、2012年は南極・大和雪原へ到達してから100周年です。

事情もわからずに行ってしまったので、白瀬隊長顕彰会の方々にはご迷惑だったかもしれませんが・・・
毎年、命日(9月4日)に近い9月の第1日曜にしのぶ会を続けているそうです。
100周年記念行事をきっかけにして、関係図書を何冊か読みました。探検を志してからの準備、探検の最中、後始末と、とにかく強い意志を持ち続けていなければ、とてもできない偉業です。奥さん・家族もたいへんだったでしょうね・・・

浄蓮寺(生家、にかほ市)のお墓の墓石と形が似ていますね。

お墓の前の地面には、南極大陸の地図が横たわっています。
「大和雪原」の場所がわかります。
初代”しらせ”のスクリューブレードです。
ボルト状のイボイボが付いているのは、埠頭公園(東京)の項で説明済みですね
 白瀬南極探検隊長から学ぶこと
1.少年時代の夢を実現したこと。
2.自分を信じ、くじけなかったこと。
3.仲間を信じ、約束をかたく守ったこと。
西尾市教育委員会

(おさだ)

南極半島クルーズ同行記

2004年2月、雑誌の企画で南極半島クルーズを同行取材。その体験を思い出すまま綴ってみました。

南米アルゼンチンのウシュアイア港を起点に、南極半島と周辺の島々を巡る11泊のクルーズで、乗船したのは耐氷船ORION。
極地やガラパゴスなど秘境を巡る“探検客船”として新造された船で、快適性だけでなく、環境や生態系への影響に配慮した設備やルールも徹底されていました。
南極海の経験豊富なキャプテンの知識とコンパクトな作り(4050トン/キャビン数53室)を生かし、大充実&うれしいサプライズ満載のクルーズでした!

成田→シカゴ→ブエノスアイレス→ウシュアイアと、2日間の空の旅でぐったり。
さらに約1000kmのドレーク海峡はしっかり船酔い。
夢にまで見た南極を前に、まさかのテンション急降下・・・。
が、出港から45時間後、永遠に続くと思われた水平線上に島影発見!
近づくと、濃紺の海からアルプス山脈がそそり立ったような圧倒的光景が迫り、しばしあ然。
エレファント島でした。

シャクルトンの探検記は読んでいたので、興奮も感動もひとしお。
ここから一気にテンションが上ります♪

そして、この日の夜遅く、空には見たこともないたくさんの星☆
海も穏やかで、窓に差し込む月明かりのもと、夢のような現実に酔いながら眠りにつきました。

南極クルーズは天候に左右されることが多く、ルートも予定通りとはいきません。
でも小型船は小回りがきくうえ、サービス精神も知識も豊富なスタッフがいれば、その時々で
最適なルートや上陸地を選び、思いっきり探検気分を盛り上げてくれます。

アデリーやジェンツー、ヒゲペンギンの営巣地では、かわいいペンギンたちに目が釘付けに。
一方で驚いたのは、それまで映像や写真ではあまり目にすることのなかったたくさんの死骸。
生と死が普通に隣り合わせにある現実は、当たり前とはいえ衝撃を受けました。

そして、最高にロマンチックだったのがニューマイヤー海峡。
氷河に囲まれた入り江に入ってエンジンを止めると、一瞬にして時が止まってしまったかのような静寂。
でも、耳を澄ますとパチパチ、パチパチという音が・・・。
海に浮かんでいる氷に閉じ込められていた太古の空気が外にはじけ出る時の音で、山肌に反響しているのだとか。
周囲360度から奏でられる神秘のアイスサウンド、素敵すぎます♪

海外の観測基地も訪問。
今は博物館になっているイギリスのポートロックロイでは、お昼寝中のジェンツーペンギンたちを横目に中に入ると、基地時代の生活の様子がそのまま残されていました。
ひと通り見学し、あとは記念品を買ったり、日本への手紙を投函したり。

アルゼンチンのアルミランテ・ブラウン基地では、基地の裏にある小高い山登りにも挑戦。
雪の急斜面を夢中になって歩き続け、頂上にたどり着いたところで振り返ると、クラクラするほどの高さ。
降りるのが怖いなぁと思っていると、スタッフが先に降りながら雪面を固めて天然の滑り台を作ってくれました。
そこを私たちがお尻で滑り降りたのですが、これが予想以上にスピードが出て、転がるわ脱線するわで、もうワーワーギャーギャー(笑)。
外で遊ぶのがこんなに楽しいと思ったのは子どもの時以来かも。

最初に行く予定だったアルゼンチンのエスペランサ基地は、強風で上陸がかなわず残念でした。

一番感動したことといえば、パラダイス湾でのゾディアッククルージング。
氷の上ではヒョウアザラシが寝ぼけ眼でこちらを見ているし、ペンギンたちはエサを求めてピョンピョン跳ぶように泳いでいます。
さらに、クジラが数頭やって来て、なんとゾディアックを囲んでグルグル回ったり、下をくぐり抜けたり。
中にはゾディアックよりも大きいものもいて、近くを通る時は波を立てないように気を使ってくれているようでした。
寒さも忘れ、またもやみんなで大はしゃぎ。

大自然は、いい年をした大人を子どもにします!
南極の海に慣れたスタッフもクジラに遊んでもらったのは初めての経験だったようで、まさに奇跡!
信じられないことが次から次へと起こるクルーズなのでした。

南極で温泉!

さらに活火山のあるデセプション島へ。
クルーが砂浜に即席の露天風呂を掘ってくれました。
南極の温泉の正しい入り方は、まずは写真のように足を高く上げて・・・
というのはウソです。へへ。“デセプション”島ですから。
温度は40度近くあって、皆さんあったかい温泉と冷たい海を行ったり来たり。

近くでペンギンたちが散歩しているかと思えば、目の前の海からいきなりオットセイが巨体を揺すりながら現れ、
まっすぐこちらへ! あわや混浴!!!
こんな露天風呂、地球上のどこを探してもないでしょう。
遠くの山は不思議な地形で、なんだか別の惑星に来てしまったかのような錯覚に陥ります。
そりゃテンションも足も上がりますね(笑)。

また、この島は調査基地や捕鯨基地、南極初の空港もあった場所で、その跡がそのまま残されていました。

アザラシとペンギンが同居

クルーズ最後は「ここ、ほんとに南極?」という感じの、芝生のように緑が広がったリビングストーン島のとある地点を散策。
羽毛が抜けきらないジェンツーペンギンの子どもたちが、水たまりで泳ぎの練習をしていました。
ミナミゾウアザラシもゴロゴロしていて、なんだか平和です。

11日間のクルーズは、とにかく毎日がサプライズの連続。
そんな中、今もはっきり覚えているのは「この思い出があれば一生生きていける」と思ったこと。
ちょっと大げさに感じるかもしれませんが、南極の自然はそれほど強烈で、豊かかつ謙虚な気持ちにさせてくれたのでした。
本当に宝物の思い出です。

しかし、南極の自然はクセになります。2年後、取材の機会を得て再び南極半島クルーズへ。
ま、一生の思い出は多いに越したことありません(笑)。

おまけ・・・南極半島で出会った平和顔

ウェッデルアザラシは寝ている間も見ていて飽きない。
時々「ごぼぼ」と寝言を言ったり、口角を上げて笑っていた。
それってどんな夢?
カニクイアザラシも寝ながら笑ってる?
氷のゆりかごが心地いいのか、
ゾディアックで近づいてもまーったく起きる気配なし!
ペンギンを食べることから、獰猛なイメージのヒョウアザラシ。
でも顔は意外と愛嬌たっぷりで憎めない感じ。
あ、それが手か!?
一見オヤジっぽいけど、まだ子どものミナミゾウアザラシ。
十数頭が密集しているため、寝返りはかなり近所迷惑。
デセプション島の温泉で、目の前の海から現れたオットセイ。
カメラを向けたら、ポーズをとって色っぽい目線をおくってきた。
負けた。。。

(k.suzuki)