
2011年9月4日、台風の影響でじゃんじゃん降りでしたが、吉良の瀬門神社社務所で、探検家白瀬矗をしのぶ会がありました。
2011年は南極へ出発してから100周年、そして、2012年は南極・大和雪原へ到達してから100周年です。
事情もわからずに行ってしまったので、白瀬隊長顕彰会の方々にはご迷惑だったかもしれませんが・・・
毎年、命日(9月4日)に近い9月の第1日曜にしのぶ会を続けているそうです。
100周年記念行事をきっかけにして、関係図書を何冊か読みました。探検を志してからの準備、探検の最中、後始末と、とにかく強い意志を持ち続けていなければ、とてもできない偉業です。奥さん・家族もたいへんだったでしょうね・・・
瀬門神社
かくて、やす夫人は、昭和二十二年末夫君の遺骨を抱き、次女タケコ孫喜子と共に、故あって吉良町(当時横須賀村)瀬戸に転住しここを永住の地と定め、本籍を当町に移されました。
しかし、やす夫人は昭和二十六年四月病を得て死去され、タケコさんは、両親のお骨をここ西林寺の墓地に仮埋葬して、昭和二十七年喜子さんと共に、東京に移住された。
昭和三十二年三月白瀬隊長の甥にあたる秋田県金浦町の白瀬知燈氏が来町され、分骨を請われて初めて白瀬隊長のお骨が残されていることを知った。
ただちに関係者並びに、吉良町史跡保存会は、この地を浄域と定め、元侍従長藤田尚徳氏の揮毫を得て。墓碑を建立した。
本年墓域の整備にあたり、改めて由来をここに明記する。
平成三年九月 西尾市教育委員会
浄蓮寺(生家、にかほ市)のお墓の墓石と形が似ていますね。

「大和雪原」の場所がわかります。

ボルト状のイボイボが付いているのは、埠頭公園(東京)の項で説明済みですね

1.少年時代の夢を実現したこと。
2.自分を信じ、くじけなかったこと。
3.仲間を信じ、約束をかたく守ったこと。
西尾市教育委員会
(おさだ)