我が国の南極観測は、一昨年度、50周年を迎えた。文部科学省からは、その正史となる「南極観測五十年史」が昨年発行された。また、50周年を機に、南極OB会編の本を初めいくつもの出版があり、その歴史がさまざまに語られ評価された。小玉正弘氏の著となる「もう一つの南極史」は、表題が示すように、これまであまり知られていなかった事実、少なくとも南極の長い歴史からすると若輩者の小生は知らなかった多くの事実が著者の深い想いとともに語られており、南極OB諸氏はもとより多くの人に一読をお勧めしたい本である。
この著書全体を貫くのは、宇宙線およびオーロラ研究における著者のパイオニア精神である。地球磁場の緯度効果を探る宇宙線船上観測、オーロラX線観測、南極ーアイスランド地磁気共役点観測、ポーラーパトロール気球観測など、著者は、我が国あるいは世界で先駆けとなるさまざまな観測を果敢に手がけ、現在の我が国の高度な宙空系研究観測の礎を築いた。こうした先駆的な研究への熱き想い、意義と成果などを含め、さまざまなエピソードを本書から知ることができた。日本の得意とするポーラーパトロール気球観測(PPB)の名付け親が著者であり、その理由が当時はやっていたテレビドラマ「ハイウェーパトロール」から来ていることなどのエピソードも紹介している。また、宇宙線の特性を生かした宇宙線雪量計の開発など宇宙線応用学といえる分野の開拓話も書かれている。この宇宙線雪量計は、1985年の科学技術庁長官賞を受賞した優れた発明である。
第1次観測隊に参加して以来南極の宇宙線研究を推進していた著者には、第3次隊、第4次たいに参加した理化学研究所宇宙線研究室の後輩の福島紳氏は、研究の将来を託す若き後継者であった。その福島紳氏の南極での不遇の最期は、著者の心に生き続けており、本書では、第一部七話「さようなら、フクシマ」、第二部六話「鎮魂の譜」などに多くページを割いている。また、本書の末尾に「(略)なんとか脱稿までこぎつけることが出来たのは、、、、(略)、、、、故福島隊員への懺悔の気持ちが後押しをしてくれた」と述べている。
福島隊員の遭難は、著者が「今後も長く続くであろう南極観測のためには、一つの貴い礎として、いつまでも人々の心の中に生き続けて欲しいと願う」ように、観測隊の安全対策にさまざまに生かされている。また昭和基地の越冬隊は、福島隊員が行方不明となった10月10日には、福島ケルンで慰霊祭を行い、故人の冥福を祈るとともに、行動への安全の誓いを新たにしている。
また、「ふじ」の就航とともに、防衛庁が南極観測事業に関わるようになったことに対する学会の反応など、一部聞いていたことではあるが、本書ではその断片を知ることが出来た。著者の第14次隊隊長の話が幻となるのも、同時に南極の宇宙線にかけた著者の夢が散ったのも、自衛隊問題の後遺症と言えることも知った。第一部九話「激動の中で」で語られていることである。今では想像もできないような南極観測の歴史の一断面である。
著者にとっては、「激動の嵐にただ翻弄されて」、「宇宙線からの撤退は余儀なくされたが南極への情熱まで失ったわけではない」。南極の宇宙線部門は、オーロラX線観測に新たな活路を見出した。また、著者は、前述した南極ーアイスランド間共役点観測を日米共同観測として実施する等、新たな研究を展開し学会をリードした。
本書は我が国の南極観測の黎明期、発展期の歴史の貴重な一断面を描き出している他、中学校の同級生である哲学者梅原猛についても語る等、興味ある内容となっている。多くの人に一読を勧めたい。
(藤井理行、会報3号)