ここまで来たんだ。極点まで行グベ〜。
そうだ、そうだ!それでいいのだ・・・観測隊
極点旅行の記録
9月末から行動した我々は、早々に「♪♪…観測最中にアイスドリルに片腕をちぎれんばかりに巻きこまる八十一空しく基地に去る 極点旅行のシクジリ隊」と出鼻をくじかれた。今でも、軟雪に悩まされ苦労した思いだけが強いが、意外に稼働率70%、走行距離39Km/日。ところが11月に出発した8次隊も80%、40Kmだから、我々は白夜を寝ずに遮二無二距を稼がざるを得ず、8次隊の観測調査密度に及ばない訳だ。
以下、ルートのみ
{1}F16 ⇒(48日間)⇒プラトゥ(4泊):F16 発1968/9/28〜11/12 プラチゥ着。F16の標高は523m、75°S迄10月上旬は地吹雪、下旬から―50℃以下と軟雪、11/8には―59.2℃の全行程中の最低記録]
{2}プラトゥ⇒(34日)⇒極点(5泊):プラトゥ基地の標高は3624m プラトゥ発11/16〜12/19極点着。80°S以南気温上昇、雪面好転、概ね晴れ
{3}極点⇒(21日)プラトゥ(4泊):極点の標高は2800m 極点発12/25 1969
年/1/Nプタトゥ着 81°Sまで曇り細雪多し
{4}プラトゥ⇒(26日)⇒F16:プラトゥ発1/20 2/15F16着。70°Sまで晴れ勝ちながら以北は雪。96日ぶりに74°あたりで日没あり。
残す1000Kmをと噴射ポンプ,ラジェータ等の交換作業の後「九次隊の御柱」と愛称する4mの角材で「インド洋900粁・大西洋1500粁・太平洋2500粁」という雄大な道標が建立された。今なら「ドーム掘削基地は西50粁」と「#603終焉の地は北北東90粁」が加わっているはずだ。#603は南緯76°の氷原に恐らく10mの深さに埋まっているだろ。楽しみにした10次隊のラサ号との会合は基地での機体事故のため流れたが、北帰行のホームスピードは往路の苦闘も嘘のようだ。2月9日、あと300Kmという時、「こうみょうの木のぼりといひしおのこ」と坂田道太文相からの来電は、さすがに時を得た戒めと感じいった我々だ。(村山雅美記「合縁奇縁の9次隊」より抜粋)